源さんが行く21
いか寿司 イカ寿し 下北 郷土料理【2尾入り】いかのなかに漬物が詰まってます!青森県下北半島に伝わる郷土料理【いかずし】
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どうも、しょうさんの息子のゲンです。
前回の予告通り、今回から数回にわたってロシア人渡来の記を
飛騨屋のクナシリ場所支配人・喜多右衛門と
キイタップ支配人・庄次郎の二人が飛騨屋に報告した文書から
紹介していきたいと思います。
時代は安永七年(1778年)。
寛政元年(1789年)の十一年前に遡ります。
ロシア人渡来報告書・其の壱の1
クナシリ・アイヌの長夷酋長・総おとなのツキノエは成り上がり者で、
酒に狂うと狼藉をすることがあり、安永五年(1776)からクナシリ島で交易が行われることはほとんどなくなり、
キイタップと悪消(あっけし)が飛騨屋の交易場所になっていた。
安永七年(1778)六月二十二日、
濃い靄(もや)のかかった沖合からどろどろという雷のような音が響きわたり、空砲を打ち鳴らしながら異国船が現れた。
五、六十石ほどの小船三艘に乗って赤い制服姿の背の高い者たちが三十四、五人上陸してきた。
こんなことは、かつてなかったことである。
たまたま居合わせた喜多右衛門と庄次郎とで対応し子細(しさい)を尋ねようとしたが、通訳できる人間はいない。
そこへ日本語が少しわかるらしい異国人が出てきたので、
アイヌ語で
「ヤニロコタン、ココナレアナ」(どこの国の者か?)
と尋ねると
「ムスコビア」(今のモスクワ近郊)
と答え、
しばらくして
「オロシア」
とも言った。
実はこの異国人は、
延享元年(1744)ロシアに漂着しカムチャッカに移住した
佐井・竹内徳兵衛船(多賀丸)の乗組員・奥戸の利八郎の妻の兄ピョートルと申す者で、
この度、通訳として来ていた。
蝦夷人を通して尋ねると、
「この度の渡来は日本と交易をしたい旨を松前領主に伝えてほしい」
というものだった。
こうしたやり取りをしているとき、
松前候の御船の上乗り新井田大八殿がごく近くに居ると知り、
飛脚をもって伝えたところ、日を置かずに到着した。
その後は新井田殿だけで対応し、我々場所支配人どもが異国人に近寄ることが禁止され、これ幸いと喜んだ。
異国人への対応は船の中で行われ、新井田殿は松前へ飛脚を仕立てた。
異国人はその後、全員上陸し小屋を建てて過ごしていたが、
八月上旬にはウルップ島へ帰帆した。
前述のようないきさつで我々は異国人とは一切関りを持たなかった。
その年、ロシア人たちはウルップ島で越年したようで、
そこで松前藩の返事を待つとのことだった。
翌年(1779)五月には、ロシア人たちは悪消場所のチクシコエに上陸、
小屋を建てて待っていた。
へつづく
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