源さんが行く27
いか寿司 イカ寿し 下北 郷土料理【2尾入り】いかのなかに漬物が詰まってます!青森県下北半島に伝わる郷土料理【いかずし】
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どうも、しょうさんの息子のゲンです。
ロシア人渡来に関する
飛騨屋のクナシリ場所支配人・喜多右衛門と
キイタップ支配人・庄次郎の二人が飛騨屋に報告した記録の第七回です。
ロシア人渡来報告書・其の四
漂着船に死骸がひとつというのは、蝦夷人たちの大嘘である。
この大船は、ごく珍しい衣帛(きぬ)等を大量に積み込んでウルップ島に着き、小屋掛けして滞在しているところへ長夷ハッパを魁(かしら)にエトロフ、クナシリ、キイタップのアイヌどもが徒党を組んで襲ったものである。
船中の積荷を奪おうとたくらみ、異国人どものスキをうかがっていた。
ある晴れた日、ロシア人たちは浜に遊びに出て、小屋の一人か二人は昼寝中、窓から忍び込み、鉄砲兵器の類をまず残らず盗み出し、襲い掛かり、小屋に戻ったロシア人どもが狼狽しているところを数百人で取り囲み、毒矢を打ち込んで殺した。
その後すぐに船に行き、居合わせた者に語りかけ油断させて、これも残らず殺し、船中の諸品を略奪したと聞いた。
カラフトのいくさであったなら、かの者たちがお宝を積んだまま無人の大船を漂流させるはずはなく、ウルップで蝦夷どもが狼籍(ろうぜき)に及んだのは間違いないと思われる。
安永(1772~81)末から天明(1781~89)の始めに至るキイタップ、アッケシ、クナシリのアイヌどもは、ウルップなどで争論のたび、双方に死傷者が出ると伺っている。
蝦夷と赤狄とは、これまでも何度も戦争したものとみられる。
天明八年になり、サスノスコイと僕(しもべ)の二ケタはすでに本国に帰り、イジュヨはまだエトロフ島にいた。
このイジュヨ、動作、人柄、並みのものと思えないものがある。
文才もあり、天文地学にも詳しい。
蝦夷人どもを指導し、長夷のルリシビグを初めエトロフの蝦夷人どもに天主教*1を伝え、それぞれの門口に耶蘇*2教の法器栄柱のごとき卒塔婆*3を立て、大切に敬い日夜この卒塔婆を礼拝していると聞く。
以上が、飛騨屋に残る当時の場所支配人たちの報告書でした。
なんか、ここに書かれているアイヌ人はまるで野蛮人ですね。
たぶんここまでの行動に出たアイヌ側にも何かしらの理由があったように思われます。
それはまるでよもぎたむらができるまでに出てくるエミシと同じ環境状況にあったのかもしてませんが、その争論に関わった人たちは一人も残っていないので…。
あ、作戦に関わったアイヌ人は残っていますね。
でもどうしてもアイヌ人をそこまで野蛮人に思いたくない僕がいて、
話が一方的と思ってしまいます。
ましてやアイヌ人は和人(もう日本人か)にとって下級民族にあつかわれていたわけですし。
そんなアイヌ人の不満はついに爆発します。
次回、本来の原始謾筆風土年表に戻りまして、
源さんの記録からなるクナシリ・メナシの戦いに進んでいきます。
へつづく
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