源さんが行く36
北の漂泊者 飛騨屋久兵衛/平工剛郎【合計3000円以上で送料無料】
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どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
クナシリ・メナシの戦いに関する
佐藤ミドリ先生の意訳・原始謾筆風土年表の資料編その4です。
資料編4・飛騨屋四代目武川倍郷
天明二年(1782年)、武川倍郷(ますさと)は十六歳で四代目久兵衛 となりました。
彼は父の代に傾きかけた家運を立ち直すべく奮闘しました。
しかし、持ち船の遭難、松前藩による場所直截(ちょくせつ)経営の開始、クナシリ・メナシの乱など、飛騨屋にとってはさらに苦難が続きました。
寛政三年(1791年)、倍郷はついに福山や大畑の支店を閉じて、飛騨へ引き上げました。
ここに四代・九十一年にわたる飛騨屋の活動は、莫大な借財を残して幕を閉じました。
郷里へ戻った倍郷は、名主(なぬし)を務める傍ら、 木材運送を手がけるなどして文政七年(1824年)には、ついに借財の整理を終えました。
飛騨屋四代にわたる活動を物語る文書・文物は、下呂の町に今も残る武川家に伝えられてきましたが、平成四年(1992年)に岐阜県歴史資料館へ寄託されました。
これらの文書などは「武川久兵衛家文書目録」として整理され、利用することができます。
また、下呂の温泉街を眼下に望む高台に、寛文十一年(1671年)建立の温泉寺があります。
初代飛騨屋久兵衛の父・倍良(ますよし)は、この寺の建立にあたり、持ち山を寺地・境内として寄進しています。
以上がクナシリ・メナシの戦いに関する資料編でした。
アイヌの扱い、幕府の立場、蜂起から逃れた人の苦労、飛騨屋の立場。
いろいろな立場から載せてみました。
もちろんここに載せた内容も絶対的な確信は持てません。
どこか一方的な気もしますが、それはそれで読む方がいろいろな感想を持っていただければいいと思います。
さて次回からはまた本編に戻りまして、
源さんの記録・寛政二年を進めていきたいと思います。
へつづく
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