源さんが行く35
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
クナシリ・メナシの戦いに関する
佐藤ミドリ先生の意訳・原始謾筆風土年表の資料編その3です。
資料編3・菅江真澄・御ぶちの牧
ある夜の円居*1に 北村伝七という者、
過ぎし頃(九年前)、クナシリのエミシ(アイヌ)ら、
あらぬ筋に怒り、ののしりたる。
その島をはじめ、根室にわたりて、七十人余りの人を毒気の矢、鉾(ほこ)して殺したるに、
我のみはエミシとし頃(日頃)恵まれたるむくい思うにや。
命まったくせよ*2とて舟してはるばると送りたり。
又としは、五十路(五十代)に近きまで、しぐま(熊)にも三度かけられて(襲われて)、
身はいくばくも(何度も)破られ谷底に夜をあかし、
舟にありては楫(かじ)折れ、舟くだけて、破れたるささやかの(小さな)板に乗りて、
潮(しお)にいざなわれて、三、四日海に漂い、いろくず(魚)に足、手、食われて、からき(やっとのこと)命助かれば、
世の中、これに類(たぐふ)恐ろしき目はあらじかし。
これや、神仏の助け給ふならんとて、去りぬ。
この人に代わりて、
逃れこし
蝦夷の海山
あさからぬ
神の恵みぞ
身に知られぬる
(菅江真澄が詠んだ和歌)
寛政十年五月十六日
へつづく
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