こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く34

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

クナシリ・メナシの戦いに関する

佐藤ミドリ先生の意訳・原始謾筆風土年表の資料編その2です。

 

資料編2・日本の歴史

 反乱の急報をきいた幕府は、老中の松平定信が中心になって対策を協議し、とりあえず松前藩を援助するために津軽・南部の両藩に出兵を命じた。

 

幕府が何より心配したのは、この反乱の背後にロシア人の手が働いているという噂であった。

 

当時、野辺地にいた最上徳内から現地の情報を受けた御普請見習の青島俊蔵がそれを幕府に報告したので、松平定信は反乱の真相を探るため青島俊蔵に小人(こびと)目付の小笠原五大夫をそえて松前に派遣した。

 

 青島俊蔵も小笠原五大夫も、ともに隠密である。

青島俊蔵は、表面は長崎俵物御用、五大夫はその配下の商人を装って出発し、野辺地から最上徳内を案内役として同行させ、東西蝦夷地を調査して江戸に帰り、報告書を幕府に提出した。

 

 ところが松平定信は報告書の中で、

「近年、エトロフ島にロシア人は一人も姿を現さないので、今度のアイヌの反乱にもロシア人は加わっていない」

と述べているのを信用できないとし、青島俊蔵と、同行した最上徳内は拘引*1された。

 

 翌年、判決言い渡し。

青島俊蔵は遠島*2

最上徳内は無罪。また、飛騨屋久兵衛はクナシリ、厚岸、宗谷の請負場所を没収された。

【日本の歴史/中央公論社

 

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源さんが行く35 - こめいがねんど

へつづく

 

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

*1:こういん=逮捕

*2:判決九日後に病気で獄死