こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村の歴史や文化、たまに趣味のねんど作品を紹介する雑記ブログ

源さんが行く33

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

今回から数回にわたってクナシリ・メナシの戦い

佐藤ミドリ先生の意訳・原始謾筆風土年表の資料編から

別の角度で紹介していきます。

 

資料編1・ 和人の酷使に忍耐も限界・クナシリ島でアイヌが蜂起

 五月五日、千島のクナシリ島で、乙名・マメキリに率いられたアイヌが蜂起し、松前藩が経営権を与えている商場(あきないば)を襲って、藩の役人や番人、出稼ぎの漁夫などを殺害した。

さらに船で対岸のメナシ郡に渡って同地のアイヌと合流し、海岸沿いの番屋や飛騨屋所有の交易船などを襲い、合わせて七十一人の和人が死亡した。

 

 東蝦夷地の交易・漁業権であるクナシリ「場所」は、厚岸、霧多府、絵鞆(室蘭)の「三場所」とともに1774年から飛騨屋久兵衛が請負人となり、以降、本州からの出稼ぎ人を使って漁業経営が行われてきた。

 

これらの「場所」では、アイヌを安い賃金で鮭・マス漁労働者として使役され、アイヌの間に日頃の酷使に対する不満が鬱積していた。

 

この事件も、病気の乙名・サンキチがクナシリ運上屋(出張所)から酒を与えられて急死、毒殺のウワサがたったことによる。

 

 松前藩の兵二百六十人が根室に着くのは、七月八日のこと。

結局アイヌ蜂起は、厚岸の乙名・イトコエとクナシリの乙名・ツキノエなどの説得で収束するが、

七月二十一日にはアイヌ三十七人が和人を殺害した罪で死刑になる。

八月七日には、飛騨屋が蝦夷地で請け負っていた全「場所」が、松前藩に接収*1された。

【日本全史より】

 

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源さんが行く34 - こめいがねんど

へつづく

 

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

*1:強制的取り上げ