こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く28

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

源さんの記録によるクナシリ・メナシの戦いに入ります。

 

 クナシリ・メナシの戦い・其の壱

  クナシリの総乙名*1の讃吉(サンキチ)が病気の折、運上屋*2に酒を所望した。

 

この島をキリタップ領と称して明和元年(1764)から請け負っていたのが飛騨屋こと武川久兵衛である。

 

飛騨屋の運上屋からその酒が届いた夕べ、サンキチは死んだ。

 

もともと気性の激しいアイヌのこと、息子の歩西(ホニシ)とその伯父の豆剪(マメキリ)は仲間のアイヌを集め、

 

「和人が毒入りの酒を飲ませた。だました奴らが許せない。

このまま捨ておいてなるものか。

運上屋の支配人、通訳、番人らは、病気の世話だ、仕事の報酬だと言葉巧みに我々アイヌをだましてきた。

この先もいったいどうなるか。

奴らを皆殺しにして、奴らがため込んだ加工品や産物を奪い取ってやる。」

と、激しく怒りを爆発させた。

 

 

 そして五月七日の夜、まず飛騨屋の苫里*3の運上所を前触れなしに襲い、松前藩の小役人(足軽)の竹田勘平、運上所支配人の宮兵右衛門、それに通訳や番人八人を殺害した。

 

次に、豆嫌*4運上所に向かい八日の昼

「クジラが漂流している」

と和人をおびき引きだし、

支配人の脇坂佐兵衛(大畑出身)ら六人を殺した。

 

さらに、東沸*5に行き飯田半右衛門組の六人も殺害し、

古釜府*6で五人殺害した。

支配人の北村伝七(大畑出身)と番人の山本常蔵(大畑出身)もそこに居あわせたが、なんとか逃げのびた。 

  

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源さんが行く29 - こめいがねんど

へつづく

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

*1:おとな=アイヌの一族の長

*2:うんじょうや=蝦夷地における場所請負人の交易場の経営拠点

*3:トマリ=地名

*4:マメキライ=地名

*5:トウフツ=地名

*6:フルカマップ=地名