源さんが行く22
いか寿司 イカ寿し 下北 郷土料理【2尾入り】いかのなかに漬物が詰まってます!青森県下北半島に伝わる郷土料理【いかずし】
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どうも、しょうさんの息子のゲンです。
ロシア人渡来に関する
飛騨屋のクナシリ場所支配人・喜多右衛門と
キイタップ支配人・庄次郎の二人が飛騨屋に報告した記録の第二回です。
ロシア人渡来報告書・其の壱の2
この年(1779)は、天候が不順で海が荒れる日が多かった。
八月になって松前城下から浅利幸兵衛殿、工藤清右衛門殿ほか、足軽などかれこれ三十人ばかりがチクシコエに到着した。
ロシア人との対応を済ませ、米十五俵、酒、たばこ、キセルなどを異国人に進物として差し上げ、
前年異国人から贈られた品々は残らず返したようだ。
異国人たちはほどなく小屋を取り片づけ、八月下旬にチクシコエを出帆して帰国した。
しかし後に承(うけたまわ)ると
「日本は、肥前国長崎と申す地のほかは、異国人との交易をしてはならず、国禁(こっきん)である。」
旨を伝え、帰国するように申し渡したのだという。
遠方からの渡来による辛労を察して、米や酒等を贈ってねぎらったのだと聞く。
また、クナシリ島のツキノエは〈異国人を連れてきたことは不届き〉の旨、厳しくお叱りを受け、早々にチクシコエからクナシリ島に逃げ帰った。
その後は、当請負場所に異国人が渡来することはないが、
ウルップ、カラフトへは小舟で渡り、漁撈*1をしていると風の便りに承っている。
おおかたは赤い猩々緋(しょうじょうひ)の服を身に着け、
蝦夷人は彼らのことを
「フレシャム」(赤人)、
我々は
「赤狄」(あかえぞ)
と呼んでいる。
この度のロシア人の渡来で、両場所合わせて二百六十人分、
二年越しの費(まかない)は大変な額になる。
異国船騒動で、アイヌも寄りつかず、交易もならなかった。
支配人たちが寄り集まって試算したところ、
今回の飛騨屋様の三場所でこうむった損失は、
ざっと金三千八百両にはなると、一同、驚いている。
よって、後日のためにと、この始末書を記しておく。
安永九年(1780)
クナシリ 支配人 喜多右衛門
キイタップ支配人 庄 治 郎
へつづく
最初から読み直したい方は
第二集の最初から読みたい方は
*1:ぎょろう=漁業