こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く23

 

f:id:komeikanendo:20190913232457j:plain

どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

ロシア人渡来に関する

飛騨屋のクナシリ場所支配人・喜多右衛門

キイタップ支配人・庄次郎の二人が飛騨屋に報告した記録の第三回です。

 

ロシア人渡来報告書・其の壱の3

 東蝦夷場所は残らず飛騨屋様の請負場所なので、

この異国人の一件を松前藩の役人たちは、

江戸表(幕府)に漏らすことがないかと心配し、

場所支配人、番人たちに

「異国人に近寄るな」と堅く差し止めている。

 

 クナシリの酋長ツキノエについて言えば、

自分では異国人の案内という大役を果たした気分でいたらしい。

ロシア人が初めて接した蝦夷人ではあるが、

「猛獣のような男で、どこか油断ならない」

とロシア人自身が言っているほど。

 その後ツキノエは、異国人とは親しくしていないようだが、

松前藩役人から厳しくお叱りを受け、目論見(もくろみ)違いが分かり、 早々にクナシリに帰帆したと悪消支配人の(北村)傳七*1から聞いている。

 

 東蝦夷地にやってきた赤狄(あかえぞ)は本国ロシアに帰り、

松前藩から贈られた品書きを国王に奏上したところ、

「本国より送った品物は返され、他国からの品物を受け取るとは、使者にふさわしくない」

とその役を解かれたという。

 

 このことは天明六年(1786)にエトロフ島に来ていたロシア人のイジュヨが、

蝦夷地検分に派遣された幕府御普請役下役・最上徳内に対し直に語ったと聞いている。

f:id:komeikanendo:20190926202827j:plain

怒り狂うエカチェリーナ2世(ロシア国王)




 

  以上が安永七年に起きたロシア人渡来に関する喜多右衛門と庄治郎の報告書になりますが、まだロシア人に関する報告は続きます。

次回は天明五年の報告を紹介します。

 

 

源さんが行く24 - こめいがねんど

 へつづく

 

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

*1:大畑の人