こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く82

 

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

寛政九年の記録に入ってまいります。

源さんは50歳になりました。もう十数年、宿老を続けております。

 

寛政九年(1797)の記録・其の壱

■蓮花往生(れんげおうじょう)と称した法花宗の奸徒*1が獄に入れられる。

 

寛政(1789~1801)の初め、上総(かずさ、現・千葉県)で行われたという邪教

仕掛けのついた蓮台(れんだい)に信者を座らせ、下から槍でついて殺し往生したかのように見せかけたという事件。

平田篤胤(あつたね)の著書「出定笑語(しゅつじょう・しょうご)」附録にでている。【シャープ電子辞書】より

 

松の板役(税)の請負。

 

日の丸燈籠を神輿へ二張、八幡宮へ二張、春日神社に二張、幕府御用船の政徳丸から奉納された。

 

八幡宮例祭の不思議~幕府御用船政徳丸と長川仲右衛門(1)

八幡宮社殿の拝殿に対峙して、ひときわ威厳を感じさせる日の丸燈籠。

表面の「御舩」(おふね)の文字の脇には

「政徳丸御船預 向井将監組 組頭 長川仲右衛門」

とある。

御神輿が御旅をする湊の春日神社にも少々小ぶりな日の丸燈籠が飾られている。

また、神輿渡御(とぎょ)の行列の中には、これまた日の丸の高張り提灯が。

さらには御神輿の四隅に付けられる提灯も日の丸提灯である。

 

なぜ、大畑の祭りに幕府御用船がいるのか?

 

その素朴な疑問が前進し始めたのは社宝として八幡宮に残る「アワビ貝」の話をきっかけに、原始謾筆風土年表に続々と関連する記述を見つけることになったからである。

 

なぜ、大畑の船頭が幕府の水軍に召し抱えられたのか。

 

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原始謾筆風土年表・資料/中嶋康夫紀記より

 

源さんが行く83 - こめいがねんど

へつづく

 

 

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*1:かんと=悪者