源さんが行く84
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
今回も、八幡宮例祭の不思議につて説明した、原始謾筆風土年表・資料のなかから、中嶋康夫氏の記述の続きを紹介したいと思います。
八幡宮例祭の不思議~幕府御用船政徳丸と長川仲右衛門(3)
寛政十一年(1799)には東蝦夷地を幕府が直轄領として蝦夷地経営に乗り出したが、江戸から直接蝦夷地へ向かう航路の開拓に迫られ、長川仲右衛門の政徳丸に航路開拓が命じられた。
三月二十四日、品川を出航して宮古から一気に釧路に渡り六月二十九日に至って厚岸についた。
いわゆる蝦夷地への直渡りの快挙を行ったのである。
しかし、原始謾筆風土年表では、長川仲右衛門と政徳丸は寛政三年からこの直渡りに命を賭して挑戦していたことが書かれていて面白い。
長川仲右衛門は一介の船乗りから幕府役人(格)になり、国策の中で脚光を浴びながら、未開の蝦夷地を自由に乗りこなした名船頭として、大畑の人々にとってヒーローであったに違いない。
長川仲右衛門は、後に拠点を函館に移したが、大畑の自宅は現在の岡崎商店のところであったという。
さりげなく通る家並に隠れた歴史があり、脈々と受け継がれてきた八幡宮例祭の中にも秘められた歴史があります。
それが故郷の歴史であり、郷土の誇りだと私は感じます。
原始謾筆風土年表・資料/中嶋康夫紀記より
へつづく
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