源さんが行く54
下北半島食べる通信「大畑の海峡サーモン」(2016夏 バックナンバー)【電子書籍】[ 下北半島食べる通信編集部 ] 価格:500円 |
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
今回から数回にわたってラクスマンの来航を別の角度から紹介していきたいと思います。
ロシア使節ラクスマン、漂流民の光太夫を伴い根室に来航
ロシアの使節アダム・ラクスマン(27歳)が、1783年にアリューシャン列島のアムチトカ島に漂流した大黒屋光太夫(42歳)らを伴い根室に来航し、日本との通商を求めた。
大黒屋光太夫は、漂流後四年を経てイルクーツクに着き、シベリア総督に三度の帰国嘆願書を出すが、拒否される。
その後、帝国科学アカデミー会員キリル・ラクスマンのはからいで、首都ペテルスブルクに招かれ、エカテリーナ二世に謁見、修交使節とともに帰国することを許された。
キリルの子の、使節に命じられたアダム・ラクスマンに伴われ、光太夫らは十一月にペテルスブルクを出発、大陸を横断してオホーツクに出て、ようやく根室に到着した。
漂流以来十年、十七人いた乗員のうち帰国できたのは、光太夫と磯吉、小市の三人だけだった。
幕府は目付の石川忠房らを派遣し、会談にあたらせる。
(原始謾筆風土年表・意訳資料/日本全史より)
へつづく
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