こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く41

 

 

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

寛政二年後期その3回、洞窟話がつづきます。 

 

寛政二年(1790年)後期の記録・その参  

洞窟というと、伊豆半島の手石の洞窟*1は、新月と満月の夜には大潮が引き、その時に櫓をこいで中に入ると、六、七間奥まで明るく、しかし右に曲がると突然真っ暗になるらしい。

船二、三艘分入ったと思われる頃、波が上下に船を揺さぶり、波音が洞窟の中に響き渡り、その恐ろしいこと。

しかし、その向こうの岩盤全体がキラキラ輝き始めて、穴の中は真昼のようになるというのだ。

打ち寄せる波しぶきも金色になり、船上の人々はあっと驚く。

しかし、すぐさま闇の世界となる。

人々は、今のはいったい何だったんだと茫然とする。

そしてまたも一瞬の金色の世界が広がる。

この時、心を静めて冷静になって観測すると、向こう側に屏風を立てたような岩があり、そこに阿弥陀三尊が現れる。

真ん中の像は一尺五寸の阿弥陀仏、後光を背に雲に浮かぶ風情である。

その前に立つのは観世音菩薩。一尺一、二寸。

またその少し前に七、八寸の勢至(せいし)菩薩

それは、御来迎(ごらいごう)引接*2とは、まさにこのようなことかと思わせるものである。

 

 

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源さんが行く42 - こめいがねんど

へつづく

 

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

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*1:南伊豆町手石地区にあり、手石の阿弥陀窟と呼ばれる。海岸浸食によって形成された洞窟(海食洞)である。国の天然記念物。

*2:いんじょう=仏が衆生を引き導くこと