こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く42

 

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

洞窟話が止まりません。 

 

寛政二年(1790年)後期の記録・その四  

阿弥陀三尊が現れた後、船を洞窟から引き出すとき、俳諧行脚(あんぎゃ)の京都の塘雨(とうう、人名)が今の光景をもう一度見たいと後ろ向きに座ったが、しばらくの間、その様子は変わらなかったという。

洞窟の外に出ると、まだ日の高い真昼間だった。

一緒に船に乗り合わせた数人に確かめると、ある人は仏は四、五尺だ、またある人は二、三尺に見えたと大きさが異なり、光り輝くさまとオドロオドロしさに恐れおののいて、まともに見れなかったという人もいたらしい。

 

三尊が隠れたり、現れたりするのは何故だろう。

仏のいらっしゃる岩に波がかかると仏を隠し、波が引き岩が根元まで出ると、仏のいらっしゃる岩が現れ、三尊が暗い穴の中でも見られるということだろうか。

それゆえ三月三日の大干潮時には、神々(こうごう)しい仏がいらっしゃる岩が現れて、仏の像に波がかかり隠すこともないから仏の像が常に現れて洞の中一帯を照らすのであろうか。

その時、船から仏のいらっしゃる岩を手探りしてみても、手に触れるものはなく、それらしい形跡もないという。

ところが、岩から少し離れると仏の像がはっきり見えるのだ。

また、仏の浮かぶ辺りは、周辺が底深い淵となっていて近づくことができず、そのために賽銭はその淵に投げ入れず、船の中に納めよと言われているとも聞く。

 

昔はこの洞窟の中に入ることができなかったが、寛永の頃(十八世紀初め)アワビやサザエを獲りに行って、これらの仏様を発見したらしい。

 

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源さんが行く43 - こめいがねんど

へつづく

 

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

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