こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く49

下北半島食べる通信「大畑の海峡サーモン」(2016夏 バックナンバー)【電子書籍】[ 下北半島食べる通信編集部 ]

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

寛政四年の記録に入ります。

源さんは45歳になりました。

日々、宿老の仕事に励んでおります。

 

寛政四年(1792年)の記録・その壱   

月改め銭は八文に減額になる。

 

家、屋敷、田畑の売り券*1は、今までは検断の承認印だけであったが、宿老の印も必要になった。

 

鉄山*2後路(うしろ)の大畑立林を今年から宝勝院が杉を植林し、仲間山とすることに決まった。

 

金銀出入り*3により召還された喜田川吉右衛門に付き添って、検断代理の根来勘左衛門が江戸へ出発したが、盛岡から帰郷した。

 

湊村を高波が襲い、家屋にも被害が出た。

神馬藻*4や京緋色京*5の藻、海漂鮹*6、矩(く)十五㌢もある海燕などが浜に流れ着いた。

イワシが浜に寄り七百釜もとれた。

 

■伊勢太神宮の修復が行われた。

 

弥五右衛門屋敷の裏を買い取り、大行院の家を建てた。

 

近江の児島朋主という、礼儀作法、しつけ諸事、折形*7紙や、座敷飾りの寸法取り、生花用の筒の伐り方、栽培等を指導する人物が、年を越して、しばらくこの町で過ごした。

この人物、佐井の鉛鉱山の採掘を願い出ているが、花を愛でる人間がこの町にやって来たのは久しぶりだ。

生花の流儀は、立花のそれより早くから存する。

これを学べるのは、連歌について学ぶのと同じくらいうれしい。

用いる花は、山野に自然に育つものがよい。

 

津軽出身で美人画を描く行慶がしばらく滞在した。

岩群青*8を下塗りし、上画きするとき、少量の油を加え、油煙*9を溶くのには酒を用いる。

 

香朴斉解という画家が来た。

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源さんが行く50 - こめいがねんど

へつづく

 

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

第三集の最初から読みたい方は

源さんが行く39 - こめいがねんど

*1:売買証書

*2:かなやま=高橋川

*3:金銭のもめごと

*4:ほんだわら=古来、新年の飾り物、食用、肥料として用い、また焼いてカリを採る

*5:で染めた美しい緋色

*6:いかのこう=イカの甲。コウイカが持つ石灰質の甲殻。たこぶね。

*7:おりかた=飾り物を紙で包むときにその紙を折る方式。時代、流儀などによって種類が多い。

*8:いわぐんじょう=岩絵の具の一つ。天然には藍銅鉱として産出

*9:炭の製造に用いる炭素紛