よもぎたむらができるまで07
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
前回アイヌのまとめをすると言いましたが、アイヌ側の知識だけでまとめてしまうのは強引ですし、そこまでの成り立ちが和人側はいったいどんなんだったのか全く見えていないのは問題だなと思いました。(もっと言えば琉球の成り立ちも知りたいところですが。)
そこで今回から数回、和人側の成り立ちを追っていきたいと思います。
部落国家
『漢書地理志』(中国/西暦1世紀)に
当時の日本には数多くの部落国家があり、楽浪郡(朝鮮半島)の中国人のところへ朝貢していたと書かれています。
倭は百余国に分かれていて、そのうちの30国ほどが後漢(中国)に使節を派遣していて、
57年には倭奴国(わのなのくに)に光武帝が印綬(ひものついた印)を与え、
107年には倭国王・師升(そっしょう)が奴隷160人を献じたと書かれています。
1~2世紀の日本は北九州を中心に多くの小国家が分立してたようで、徐々に統合が進んでいくようです。
地理的に朝鮮半島と九州が近いというのもありますが、すでに中国と関係があったんですね。和人は進んでます。
単純な話、会話は通じてたんでしょうか?
というか中国から移民してきた、文字がわかる人物が偉い階級になったと考えるのが自然でしょうね。
邪馬台国
220年 中国は魏・呉・蜀の三国時代に入ります。
「三国志」のなかの魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に邪馬台国(やまたいこく)とその女王・卑弥呼(ひみこ)が出てきます。
「魏志」によると、
2世紀後半には倭に内乱が続いていたそうです。
この頃は弥生時代後期にあたり、石器の使用が極端に減って、鉄器が盛んに使われるようになった時期だそうです。
鉄器の使用が階級分化を進ませ、内乱を激化させ、部落国家を統一する連合政権を生み出したそうです。
それを達成したのが卑弥呼で、29の小国を支配するようになったそうです。
卑弥呼には夫がなく、弟が政治を助け、大勢の女性の召使を従えて宮殿の奥深くに住み、その言葉を伝える男子1人を除いて、ほとんど人に会わなかったそうです。
狗奴国との戦争中に死亡。
径百余歩の墳墓がつくられ、奴婢(女性の召使)百余人が殉葬されました。
死後、男王を立てますが混乱はおさまらず、卑弥呼の宗女(正当な血縁のある娘)壱与(いよ)を立てて女王としたところ、戦乱がしずまったそうです。
謎めいた女王卑弥呼。
いろいろな歴史ものの雑誌や漫画で見るイメージそのままですね。
次回は大和国家に進みます。
よもぎたむらができるまで08 へつづく
(参考引用文献/いっきに学び直す日本史・教養編)