よもぎたむらができるまで03
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
よもぎたむらができるまでの第3回ですが、まだ古代は続きます。
一回ここでその頃世界はとか、日本はとかの情報を入れて整理したいと思います。
蓬田の歴史はここまで亀ヶ岡文化の紀元前700年ころまで、進んでおります。
世界では
紀元前3500年ころ メソポタミア文明が始まり、
紀元前1363年ころ ツタンカーメンが古代エジプト第18代王朝の王になり、
紀元前1050年ころ 中国で周の武王が殷を滅ぼしています。
日本では
紀元前5500年~4000年ころ 青森県三内丸山で縄文人が生活していたころ以降になります。
それからをつづけます。
小館遺跡(こだていせき)
昭和四十六年四月、蓬田村阿弥陀川部落の高校生が、自宅のリンゴ畑で古代土器を発見しました。これを青森市造道で擦文土器の発掘をしていた早稲田大学考古学教授の桜井清治氏にみせて調査してもらったところ、むつ湾一帯にアイヌ独自の文化圏の存在を物語るものであることがわかりました。
これが蓬田村小館遺跡発掘調査の始まりです。
本州のアイヌ文化
約千年前、アイヌと和人の交渉があったことを証明しようとする大がかりな遺跡の発掘が昭和四十六年八月、小館遺跡で進められました。
小館地区にあるこの遺跡はむつ湾にのぞむ丘陵上にあり、周囲は水田であり、桜井教授らが一帯を試掘したところ、重なり合った竪穴式住居五つ、深さ約五メートルの古井戸、野鍛冶あとなどが確認されたそうです。
謎のベールにつつまれていた擦文文化の痕跡を色濃く残す遺跡が本州に、しかも完璧な形で姿をあらわしたため、小館は一躍研究者の注目をあびたようです。
初めて北海道に鉄器文化を興したとされる擦文文化が、肝心の北海道では発見されていなかったようで、北海道に「移入」された鉄製品の大半が本州、それも東北地方に多く算出する砂鉄を利用したものと推測されています。
擦文文化は当時の和人の文化が、北海道で独自な発達を遂げた地方文化の一つ。小館遺跡はそれが津軽海峡を越えて本州北端に逆移入されたことを示します。
ここに二つの推理があります。
一つは、北海道内のアイヌが鉄を求めて東北に住んだとみる見方
一つは、アイヌの鍛鉄技術に目をつけた和人が多数のアイヌ人を引き連れて小館で鉄製品を生産していたという見方です。
どっちなんでしょうね?
いずれにしても津軽半島の東岸にアイヌが住んでいたことは確かなようです。
(※原始謾筆風土年表や下北関連の書物にも擦文文化の記事は多数あり、青森県とアイヌのかかわりはかなり深いようです。)
たとえば「龍飛」(たっぴ)。エゾ語でタツはカバ。ピは石をさすのでカバなどの樹木があって生まれた地名、あるいは「むくむく水がわく」の意味から来た地名などの説があります。
青森に限らず、東北地方一帯に分布するアイヌ起源めいた地名との関係。
いったいアイヌ人はどのくらいの範囲に生活していたんでしょうね。
すごく興味があります。
たぶん僕の体にもアイヌの血が流れているんじゃないでしょうか。
むつ市大畑町の古代も知りたい方は
このまま蓬田村のつづきを知りたい方は
へつづく