こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く06

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

源さんの記録は、天明四年へ進みます。

 

原始謾筆風土年表とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

天明四年(1784年)の記録・其の壱

村林源助 37歳 宿老

 

鳶に似て雉の子ぐらいの大きさ、赤みを帯びた鳥が二羽。

鳴き声はウズラに似て、夜ごと飛び回っていた。

五月から六月にかけてである。

 

 

 安永元年(1772年)の江戸桜田南部藩上屋敷の釿始め*1の頃までは、南部藩の財政もさほど厳しくなかった。

しかし今年からは凶作対策の名目で、毎年の分限割*2が寛政7年(1795年)まで続くことになる。

 

 

  傷寒*3が大流行。

 私源助もこれにかかってしまった。

高熱が出てダラダラ汗は流れ、うわごとを発した。

のどが乾き、布団をかぶってのたうち回り、悶え苦しみ、半狂乱の状態で、

一日中水の中に入っていたい気分。

南部藩に宿老職を辞退する申し出の書面を書き、

印を押そうと思いたったものの体が言うことをきかない。

なんとも情けない…。

 槙玄周先生から腸胃承気湯という薬を処方してもらい、

三貼*4を飲んだか飲まないうちに、かなり元気が蘇った。

さらに竹条温暖湯を七、八貼飲み終わったころには、すっかり生き返り、普通の暮らしができるようになった。

 というわけで、この傷寒という熱病も疱瘡と同じで、十人中八、九人はかかるというものでもない。

その人に抵抗力があるかどうかによるのだ。

もしも不幸にしてこれらの病気にかかってしまったら、免疫力を信じて立ち向かわなくてはならない。

出もの腫れもの繰り返すの類で、またこの病気にかかるかも知れない。

その病状は急激に進むので、要注意!

 

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 今回はここまで。

 

源さんはものすごくまじめな人なんですね。

病気にかかっただけで、辞表まで考えるなんて、信じられません。

そのくらい生死をさまよっていたということなんでしょうけど。

 

次回

源さんが行く07 - こめいがねんど

につづきます。

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*1:ちょうなはじめ=建築工事開始

*2:強制的な寄付金の割り当て

*3:しょうかん=漢方医学で急性の熱病をいう。腸チフス

*4:ちょう=紙に包んだ散薬を数える語