こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

三途の川

 

 

どうも、しょうさんです。

 

よく、瀕死の状態になると、三途の川を渡るって言われますけど、

私は渡ったことがありません。

 

何言ってんだこいつ。

って思われるかもしれませんけど、

二十代の頃、大きい事故に遭いまして、

一度、瀕死の状態になったことがあるらしいです。

 

ていうのも

明け方、

友達とドライブをしてて、助手席で爆睡してたので

どのくらい大きな事故だったのかもわからないし、

もちろん痛みも感じなかったので

意識が戻ったときは、

病院のベットの上にいる意味が分かりませんでした。

 

家族から聞くと、

一週間くらい意識がなかったようですが、

 

やっぱり、意味が分かりませんでした。

 

たぶん、その昏睡状態のときに

他のひとは、三途の川を渡るか渡らないかで生死が決まるんだと思いますが、

私は、必死に病院でバイトしてました。

 

作ってませんよ、マジな話です。

 

とにかくお金をためて、海外旅行に行くんだ!

って必死に伝票の仕分けや、なんかの荷物を倉庫に運んだりしてました。

 

そうやってるうちにある看護婦さんと仲良くなりました。

もちろん見たこともない女性です。

ふたりして荷物を運んだり、

いっしょに昼飯を食べたりしてたなぁ。

夢の中で…。

 

そんなある日

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ってなって、あわてて目を覚ましました。

 

そしたら、そこは病院なわけです。

(やべ、まだ夢の中だ!学校に遅れる!)

って思って、鼻についてた管を無意識に外して、

立ち上がろうとしたところを看護婦さん(本物)に止められて

そっから、また2、3日眠ったみたいです。

 

そのへんはちょっとあやふやですが、

夢から覚めて立ち上がろうとしたのは覚えています。

 

それから意識が回復して、1か月後には退院して完全復活しました。

頭蓋骨骨折と脳挫傷

治っても癲癇や意識障害が出るかもしれないと、医者には言われてましたが、

事故から30年くらい経ってますが、何一つ後遺症は出ていません。

家族や友人たちには今も感謝しています。

 

でも最近になって、ふと考えたのですが、

あの夢の中で

私がもしあの看護婦さんとの子供を認めて

まだ夢のつづきを見ていたら、どうなっていたんだろう?

と思ったわけです。

 

そしたら、わたしはここに居なかったんでしょうかね?

 

 

そんな、私は三途の川を見たことがないエピソードでした。