よもぎたむらができるまで47
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どうも、しょうさんの息子のゲンです。
大河兼任の乱を進めます。
大河兼任の乱2
1190年1月6日
奥州合戦で捕らえられていた兼任の弟・忠季(ただすえ)は頼朝の御家人となって奥州に戻ろうとしている途中に、兄・兼任の蜂起を知ります。
忠季は頼朝への忠誠を示すため、鎌倉に引き返します。
戻った忠季は、頼朝から兼任追討を命じられます。
1月8日
頼朝は海道の大将軍を千葉常胤(ちばつねたね)、
山道の大将軍を比企能員(ひきよしかず)として兼任追討軍を派遣します。
海道の奥州住人・岩崎の輩は、常胤の到着を待たずに先陣を進めます。
頼朝は奥州に拠点を置いた御家人たちに、岩崎の輩とともに合戦することを命令し、
また奥州に所領を得た北関東の御家人にも急行するように命じます。
1月23日
しかし、いまだ鎌倉方から到着した軍兵がおらず、
逆に兼任方が群集していたという始末。
1月27日
小鹿島公成(おがしまきみなり)が奥州から参上。
兼任の囲みをいったん逃れ、合戦に遅れると仲間が陰口をたたくと聞いたので、鎌倉に馳せ参じたという。
1月29日
頼朝は使者を奥州に遣わして、奥州外から来た、あるいは奥州在国の輩は各々同心し、合議を行ったうえで合戦を遂げるよう命じます。
2月5日
頼朝は合戦の検分を行うため、雑色*1を奥州に遣わします。
兼任方の蜂起を恐れて、御家人の武勇がふるわなければ、頼朝自身、現地に向かうつもりだったらしいです。
また頼朝は山や沢などにおいて、機動性を持つ歩兵を用いて、主要な敵の所在を探し求めて襲撃するよう命令します。
いまだ頼朝の支配権が奥州全域に行き渡る前に兼任の乱が勃発したため、どこから兼任に協力する第二、三の反乱が起きるかわからない不穏な状況だったことがわかります。
【参考引用文献/青森県史】
つづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
*1:ざっしき=下級役人