よもぎたむらができるまで42
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どうも、しょうさんの息子のゲンです。
源義経は本当に悲劇のヒーローなのかを
考えていきたいと思います。
奥州藤原氏・義経伝-其の壱
そもそも義経の記録は「吾妻鏡」という鎌倉時代に書かれた歴史書に短く記録されたもの*1と、「平治物語」や「源平盛衰記」といった話を大きくした軍事物語しかありません。
なのでどこまでが本当でどこからが作られた話なのか、僕には判断できません。
でも一応、ウィキペディアや歴史の本から、その生涯を追っていきたいと思います。
源義経は、源義朝の九男として生まれ、牛若丸と名付けられました。
平治元年(1159年)義経2歳のとき、平治の乱により父・義朝は平清盛に敗れ、戦死してしまいます。
後に母が一条長成と再婚したため、11歳のときに僧になるために鞍馬寺(京都市)に預けられますが、僧になることを拒否して逃げ出して、16歳のとき自ら元服して名前を義経とし、母の再婚相手である一条長成の従兄弟の子で、藤原秀衡の舅である藤原基成を頼って、平泉に下ったそうです。
もうここからして、こじつけっぽく思っちゃいます。
なんで16歳にもなった義経は、わざわざ京都から平泉を目指したんでしょう?
まるで母をたずねて三千里ですね。
でもマルコはお母さんを見つけるためという目的がありますが、
義経には何の目的があって平泉まで寺を逃げてまで行ったのでしょう?
すでに奥州藤原氏の平泉は大都市になっていて、安心して暮らせるからでしょうか?
もうすでに後ろに頼朝がいるような気がしてなりません。
前九年合戦で平泉を自分たちの領土にし損ねた祖先のリベンジのために、兄が裏から弟に指示を出していたとしたらどうでしょう?
源兄弟の壮大な平泉奪還作戦が、ここから始まったとしたら、この兄弟はスゴイ策略家ですよね。
へつづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
*1:頼朝と対面した22歳から自害したとされる31歳までの9年間