よもぎたむらができるまで38
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
いきなり頼朝から突き付けられた「勘当」通達。
果たして義経は…
奥州藤原氏・其の十二
頼朝に追われる身となった義経は、藤原秀衡のもとへ逃げ込みます。
義経をかくまえば頼朝といずれ対峙することになります。
頼朝は都の近辺で義経逃亡に手を貸した者たちを捕えては行方を問いただしました。
これは陸奥への目くらましでした。
頼朝は義経が平泉にいるとの確証を得ていました。
なのに頼朝はその後も熱心に義経の行方を探させます。
朝廷を通じて平泉には義経追討の命令を正式に伝えさせています。
平泉の者たちの間に戸惑いが生じます。
頼朝は本当に義経の行方を知らないのではないかという見解が次第に大勢を占めるようになっていきます。
しかし、頼朝の狙いはもっと深いところにありました。
頼朝個人の糾弾に平泉が嘘の返事をよこしても、それを重罪にするのは難しいです。
でも朝廷による義経追討命令を受けていながら身柄を隠していたとなれば、歴然たる反逆行為となります。
頼朝の策とも気付かず、義経追討命令を謹んで受けると、秀衡は朝廷に返答してしまいます。
頼朝は内心で歓声を上げたことでしょう。
頼朝はさらに機会を待ちました。
義経をかばっていればいるほど期間が長くなって罪が重くなります。
この時点で平泉の運命は頼朝の手に握られてしまいました。
そして頼朝が動きます。
数々の証拠を朝廷に提出し、陸奥が義経をかくまっていると訴えたのです。
驚いた朝廷は再度、義経追討の院宣を携えた使者を秀衡のもとへ遣わしました.。
秀衡は断じて義経などかこっていないと突き放しました。
これで下準備はすべて整ったことになります。
頼朝の誤算と言えば、朝廷が陸奥討伐に頷かない点でしたが、それも時間の問題でした。
そんな時期の1187年秋、秀衡が急死してしまいます。
へつづく
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