こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

よもぎたむらができるまで02

 どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 よもぎたむらができるまでの第2回です。

 

瀬辺地(せへじ)部落の遺跡

 瀬辺地地域は太古から人類の住居に適した条件をもっていたらしく、数千年前に古代人の生活の営みがあったことは、部落の背後から海浜に舌状に迫り出したナガレと呼ばれる台地上の石器遺跡から推測することができるそうです。

 

 瀬辺地部落の遺物は縄文時代前期

人々はまだ金属の使い方を全く知らず、

農耕に関しては殆ど知識がなく、

勝手に自生する自然の食糧に頼って生命を維持していた時期に当たるもので、

海で魚介を漁り、山に鳥獣を狩りにいき、

さらに偏りがちな食生活を海藻や山菜、野生の果実などで補って、

風雪に耐えながら生活を展開していたものと考えられています。

 

 時代は数千年前の太古縄文式文化前期に人類の生活が開始されてから、前期~中期~後期を経て晩期になり、やがて初期の金属時代に移っていきます。

 

 しかし瀬辺地地域では前期の後続する形態の遺跡が発見されていません

おそらく千単位の長年月にわたって石器時代の中期から後期にかけては全く人類がいなかったと考えられています。

 いったいどんな理由で古代人が瀬辺地を捨てたにか、全くわかっていません。

 

 しかし縄文式文化も終わりに近づいたころ、再びどこからともなく、玉松台および天満宮(蓬田神社?)の周辺に人々がまた集まってきたようです。

 この時期のものだといわれる玉松台遺跡の遺物は、亀ヶ岡式文化*1に類似した新石器時代のもので、瀬辺地遺跡のものと比べると、格段に文化内容が向上していて、それに伴って生活も豊かになっていることがわかっています。

 

瀬辺地遺跡の細石刃様石片

 津軽半島のほぼ中央を南北に縦走する中山山脈の東側。

 むつ湾沿岸を東に臨む上磯海岸寄りの高台に、数多くの重要な移籍が散財していることはかなり昔から知られていたそうです。

 瀬辺地遺跡もその一つで、縄文時代前期から中期のものです。

 

 ところが昭和四十七年八月、本遺跡に多数の細石刃に似た石片が散財していることを知り、その一部を北海道大学大場利夫教授、慶応大学江坂輝弥教授に実見してもらったところ、青森県では未発見の細石器らしことが確認されます。

 もし本石片が細石器文化期の遺物ということになると、細石器文化は約一万二千年から一万五千年前の古代人の文化となるので、瀬辺地にもこのように古い時代から人が住みついていたことになるそうです。

 しかもこの石片の分布は広範囲にわたっていて、JR津軽線瀬辺地駅から南西へ約五百メートルにおよび、眼下にむつ湾を臨み、その反対側に中山山脈の山々を臨む、きわめて見晴らしのよい台地に人々は生活していたことになります。

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高台の風景

 なんか、ロマンチックですね。

いろんなことをこの時代の人たちは発見していって、新しい文明を 切り開いていくんですね。

 

よもぎたむらができるまで03につづく

 

*1:石器時代終末期に近い晩期に関東地方から東北地方、北海道南半に及ぶ広い地帯に繁栄した文化