おおはたまちができるまで~南部のはなし~9
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
南部氏初代・光行についての第3回です。
南部氏初代・光行/その3
大河兼任の乱と光行の下向
大河兼任の乱は、戦場が糠部にまで及びましたが、
南部光行が、この戦に加わったかどうかはわかりません。
「南部史要」には、
この時公(光行)病にあり、頼朝これを聞きて、ひとり公を止めてやらず。
と書かれています。
やはり光行はこの戦には参加しなかったようです。
大河兼任の乱は間もなく終わりましたが、大切なのは戦後処理の問題です。
糠部や津軽方面には、兼藤の残党が隠れている恐れもあります。
また、東国には藤原氏滅亡後、夜盗や強盗、博徒など治安が悪くなって困っていました。
光行が建久二年に糠部に下向したというのも、おそらく馬産だけでなく、この乱後の治安維持ということも、大きな任務の一つだったのではないでしょうか。
津軽にも頼朝は、この戦後すぐの建久元年に有力な御家人・北条義時を地頭として配置しています。
あるいは光行に糠部が与えられたのも、奥州合戦の直後ではなく、大河兼任の乱が終わった後ではないかともいわれています。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
おおはたまちができるまで~南部のはなし~10 - こめいがねんど
へつづく
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