おおはたまちができるまで~南部のはなし~58
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
南北朝時代のみちのく6です。
みちのくの新政06
根城四代・師行の活躍03
その頃、八戸には北条氏の代官として、工藤三郎兵衛尉(ひょうえのじょう)がいました。
またおそらくその一族であったのでしょう、工藤孫四郎、工藤孫二郎などというものもいたといわれています。
そして上尻内には、工藤左衛門次郎(一戸の工藤四郎左衛門入道の子)が領地を持っていました。
あるいはこのうちの工藤三郎兵衛尉あたりは、今の根城に館をかまえていたのかもしれません。
もしこの一族がこぞって抵抗することになれば、師行としても油断がなりません。
ですが、この工藤一族は、師行の下向を聞いて、いち早く行方をくらましたようです。
工藤三郎兵衛尉父子は、まもなく岩手県の宮方(天皇方)河村又次郎に捕えられ、その後師行に預けられています。
また上尻内の左衛門次郎は津軽に逃れ、北条方の反乱軍に合流しています。
仮に今の根城々趾が、工藤三郎兵衛尉の遺館であったとしても、逃亡した後そのまま師行たちが入るわけにはいきません。
おそらく建物を新しく建て直したり、堀を拡張したりして、城の改築をしなければならなかったのでしょう。
工藤一族が一時どこかに逃れても、いつまた結束して逆襲してくるかもわからないからです。
春になって八森の城が完成しましたが、それを聞いた顕家は「これぞ奥州蕩平の根の城である。」と祝ってくれたので、それからこの城を「根城」と呼ぶようになったと伝えられています。
根城を中心とした師行の活躍は、糠部ばかりではなく、久慈、比内(秋田県大館付近)、閉伊、津軽、遠野など大変広範囲にわたっています。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
つづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1
[rakuten:hotateyasan:10001721:detail]