おおはたまちができるまで~南部のはなし~51
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
犬房丸伝説のはなし、その2です。
南北朝時代の南部氏5
犬房丸伝説と南部政長2
「南部深秘抄(なんぶしんぴしょう)」によると、犬房丸の長男は祐朝(すけとも)といい、次男は祐光(すけみつ)といいました。
長男は上名久井の館に、次男は下名久井の館に住んでいたので、人々は名久井工藤氏と呼んでいました。
いまでも下名久井の近く五日市部落にはその館跡があり、西方の大手門付近に「イボ坂」と呼ばれる坂があります。
イボ坂というのはつまり、イヌボウがなまってイボになったのだろうといわれています。
城跡の研究家として有名な沼館愛三氏も、図面の中にはっきりと犬房坂と書いています。
また八戸市の東、鮫町にはウミネコの繁殖地として有名な蕪島(かぶしま)があり、島の頂上には「厳島(いつくしま)神社」が祭られています。
このお宮も本尊は弁財天で、犬房丸の孫(あるいは子孫)島脇氏が勧請をし、氏神として祭ったものと言われています。
毎年旧暦三月三日の例祭には潮干狩りを兼ねて多くの参拝客でにぎわいます。
犬房丸(祐時)の父、工藤祐経は伊豆(静岡県伊豆半島)の人で、温泉で有名な伊東市あたりを領地としていた伊東氏とは同族です。
伊東氏や工藤氏一族が用いた家紋は「庵木瓜」またはそれに似た「ヤマ木瓜」や「丸に木瓜」などでした。
今でも旧名川町の名久井には、工藤を名乗る家がたくさんあります。
特に下名久井や五日市部落には工藤氏が多く、その工藤家のほとんどが「丸に木瓜」の家紋を用い、ごく少しですが、「庵木瓜」の家もあるそうです。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
おおはたまちができるまで~南部のはなし~52 - こめいがねんど
へつづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1
[rakuten:hotateyasan:10001721:detail]