おおはたまちができるまで~南部のはなし~50
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
今回は犬房丸伝説について紹介していきます。
南北朝時代の南部氏4
犬房丸伝説と南部政長
糠部の八戸と、三戸郡名川町名久井地区(現・南部町)には、昔からいわゆる犬房丸伝説が伝えられています。
犬房丸というのは、曽我兄弟に打たれた工藤祐経(すけつね)の息子、裕時(すけとき)のことです。
その犬房丸がわけあって(あるいは北条氏の斡旋によって)糠部に下向したといわれています。
八戸市の湊町、舘鼻台地には今も「大祐神社」というお宮があります。
祭神は工藤犬房丸で、本尊は弁財天だということです。
漁業の神様として漁師仲間からはたいへん敬われています。
昔犬房丸が八戸に来て舘鼻に住み、奥瀬氏から妻をめとって二人の子供をもうけました。
犬房丸には二人の家来があり、兄を又次郎、弟を長才(ちょうさい)といいました。
この兄弟が毎日漁をして主人一家を養っていました。
二人は漁の名人で、ある日新井田川へ漁に行ったら、兄の又次郎は千本の鮭を獲り、弟の長才は八百本の鮭を獲りました。
それから湊町の漁師たちは鮭を獲ると、恵比寿槌で頭を打ち、”千魚又次郎、八百長才″と呪文を唱えて、大漁を願ったということです。
鮭は別名スケとも言ったので、大漁の鮭はつまりオオスケで、それから大祐大明神になったともいわれています。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
おおはたまちができるまで~南部のはなし~51 - こめいがねんど
へつづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1
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