おおはたまちができるまで~南部のはなし~41
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
今回からは、安東の乱に南部氏一族はどう関わったかを紹介していきます。
北条氏の滅亡と南部氏4
「安東氏の乱」と南部長継
「安東氏の乱」には、たまたま糠部に来ていた南部長継も参戦し、手柄を立てたといわれています。
長継というのは、「元弘の乱」の際捕えられ、六条河原で処刑された波木井実継の長男です。
八戸家の歴史書「三翁(さんおう)昔話」には、この長継の参戦について次のように伝えられています。
「足立六郎時光、白河(岩手川の支流・平川)を挟んで、何度も攻めたが、安東軍大勢で、勝つことができず敗北す。
その頃四郎長継は、幸い糠部反乱追討の命を受け、無事平定を終わり、帰ろうとしていたが、時光からの使者が来て、援軍の依頼があったので、長継は直ちに津軽に行き、畑(はた)六郎左衛門時能(ときよし)と相談し、不意に安東の居城に夜討ちをかけ、安東並びその一族数人を討ち取ったが、家来の橘右近行勝(たちばなうこんゆきかつ)は安東造酒(みき)右衛門と戦ってともに討ち死にをした。」
南部長継は、この記録によると、ちょうど安東氏の乱が起きたころに、糠部にも反乱があり、追討の命を受けて糠部に来ていたというのです。
その反乱というのはいったいどういう乱であったのか、どこで起きて、誰の命令で糠部に来ていたのか、詳しいことはこの記録だけではよくわかりません。
いずれにしてもそのころは、前にも述べたように糠部には、工藤氏、横溝氏、大瀬氏、会田氏、浅野氏、三浦氏らの所領があって、それぞれ所務代官がいて勤務をしていました。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
おおはたまちができるまで~南部のはなし~42 - こめいがねんど
へつづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1
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