おおはたまちができるまで~南部のはなし~38
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
今回より北条氏の滅亡と南部氏の関係に入ってまいります。
北条氏の滅亡と南部氏1
津軽大乱と北条氏
南部氏の衰退期と言われた六代間の五十六年間を経て、次の第十代を継いだのは南部茂時でした。その茂時と次の十一代・信長の時代は、日本の歴史が大きく変わった時代の転換期でした。
北条氏が滅んで、約百五十年続いた鎌倉時代が終わり、後醍醐天皇による建武の新政が行われましたが、それもわずか二年足らずで足利尊氏の世となり、再び武家の政治、室町時代がはじまったのです。
茂時と信長の二代間は、そういう日本の政治が二転、三転した、めまぐるしい政治変転の時期でした。南部氏の宗家は初代・光行以来代々、鎌倉幕府に仕えてきたのですが、第十代目に至ってついに北条氏が滅び、茂時はその幕府と運命を共にすることになります。
北条氏を滅亡に追い込んだのは、何よりも後醍醐天皇の積極的な意欲と行動力によるものですが、幕府自体もまた、悪政や怠慢政治が続き、武士たちの信頼を失ったということが最大の原因であったようです。
北条氏はむしろ自ら滅ぶべくして滅んだといってもよいのです。
幕府最高の権力者である高時は政治を怠り、長崎高資(たかすけ)らの無謀な政治をそのまま放任してしまいました。
それで諸国の武士たちからは信望を失い、公家方について討幕戦に立ち上がる者が多く出てきたのです。
そんな幕府政治の実態を天下に暴露した事件が、本州の最果て、津軽に起きた「安東の乱」でした。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
おおはたまちができるまで~南部のはなし~39 - こめいがねんど
へつづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1
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