おおはたまちができるまで~南部のはなし~34
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
前回まで、ちょっと遡って、南部史第二代・実光の弟・実長とその息子・実継と日蓮との関係を紹介してきましたが、今回より第四代・政光の話に入ってまいります。
南部氏の衰退期1
南部氏系図の疑問
これまでの紹介のように南部氏は、第三代・時実までは幕府内でも重く用いられていました。
しかし、その後四代・政光(まさみつ)から第九代・祐政(すけまさ)までの六代間は、いわゆる南部氏の衰退期であったといわれています。
この六代の間、五十六年間の歴史は、「南部史要」をはじめ、その他の歴史書にも、わずか二、三行ずつしか書かれていないので、詳しいことはほとんどわかりません。
南部氏の第四代は、時実の長男・政光が継ぎましたが、政光はわずか一年後に十五歳の若さで亡くなりました。
そして政光の後を継いだのは、弟(三男)の宗経(むねつね)です。
その宗経が、系図のように政光の弟であったとすれば、その時いったい何歳だったのでしょうか。
「南部史要」の記録によれば、宗経の方が長男・政光よりも五歳年上です。
同じ南部氏の歴史書「聞老遺事」には、
「宗経は長男であったが、本妻の子でなかったので家を継がず、政光が早死をしたので、子がなく、宗経が家系を継いだ」
と書かれています。
宗経については、むしろこの方が正しいのでしょう。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
おおはたまちができるまで~南部のはなし~35 - こめいがねんど
へつづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1
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