おおはたまちができるまで~南部のはなし~32
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
実長親子の第四回です。
日蓮宗に帰依した実長親子
倒幕に活躍した二代目・実継2
九年近くも日蓮の教化を受けた二代目実継は、幕府に対しての批判から、次第に反幕の思想に変わり、最後にはついに幕府を倒す運動、倒幕運動にまで参加するようになりました。
その頃の執権は十一代・宗宜(むねのり・在位一年)から十二代・煕時(ひろとき・在位三年)、十三代・基時(もととき・在位一年)に続いて、暗愚*1な執権として有名な十四代・北条高時の時代でした。
政治は長崎高資(たかすけ)に任せて、自分は田楽*2や闘犬などを楽しんでばかりいました。
それで後醍醐天皇は、今こそ幕府を倒す好機と考えたのでしょう。
側近の公卿たちに相談して、倒幕の計画を進めていました。
しかしその計画は、幕府方の六波羅探題*3に密告する者があって、ついに二人の公卿、日野資朝(すけとも)・日野俊基(としもと)は責任を取って鎌倉に送られました。
これは世に「正中の変」(1324)とよばれています。
こうして初めの計画は失敗に終わりましたが、それでも倒幕を固く決意している後醍醐天皇は、その後もなお計画をやめようとはしませんでした。
そしてそれから七年経った元弘元年(1331)には、いよいよ大規模な武力戦「元弘の乱」が起こります。
正中の変で、幕府に捕えられた日野資朝や日野俊基は、その前から山伏や修験者に姿を変えて、諸国の武士を訪ね同志を募っていました。
波木井実継もおそらくその頃から、朝廷側に味方をする決意をしていたのでしょう。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
おおはたまちができるまで~南部のはなし~33 - こめいがねんど
へつづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1
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