おおはたまちができるまで~南部のはなし~31
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
実長親子の第三回です。
日蓮宗に帰依した実長親子
倒幕に活躍した二代目・実継1
八年間身延山中にこもっていた日蓮は、弘安五年(1281)には健康を害して、弟子のすすめに従って転地療養することにしました。
実長の子・実継とその弟子・孫三郎祐光(すけみつ)らに送られて、ようやく武蔵の国千束郡*1池上まで来ましたが、そこで病気が進み、日蓮はついに池上宗仲(むねなか)の宅で波乱の一生を終わったのです。
「たとえいずくの地で死のうとも、墓は身延の沢にたてるように。」
といっていた日蓮の言葉に従い、遺骨は今も身延山の御景堂に安置されています。
その池上から実長にあてた日蓮の手紙が波木井殿御報として今も残されています。
「畏み申し候。道のほど別だんのこともなく、いけがみまでつきて候。みちの間山と申せ川と申せ、難儀のことと候(そうら)えども、二人の方に守られ、無事これまでつきて候こと、おそれ入り候ながら、喜びに好じ候…」
この日蓮が亡くなった池上宗仲の屋敷跡には、今も日蓮宗の本山「池上の本門寺」がたてられています。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
おおはたまちができるまで~南部のはなし~32 - こめいがねんど
へつづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1
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