おおはたまちができるまで~南部のはなし~26
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
南部氏三代目・時実(ときざね)の話、第六回です。
南部氏三代時実と北条時頼
五戸の地頭代職02
平盛時は、三浦氏の一族でした。
三浦氏というのは神奈川県の三浦半島を領地とする一族で、三代前の三浦義明(大介)以来、源頼朝に協力をした有力な御家人(頼朝の直接の家来)たちです。
ところが、頼朝の妻・政子は、頼朝の亡き後、女将軍とまでいわれた女丈夫であったから、父の時政や弟の義時とともに、次第に北条氏の一族で幕府内の実権を握ろうとするようになりました。
その北条氏と対抗して、権力を争うことができるのは、何といっても幕府創立当時から頼朝に仕えてきた御家人たちです。
それで時政や義時はいろいろ策略を巡らして、その御家人たちを一人ずつ順に滅ぼそうとしたのでした。
その最初の犠牲者となったのは、その頃の最有力者であった比企能員*1です。
能員は建仁三年(1203)北条時政から、仏事を行うと称して自宅に招かれ、屋敷に入ると待ち構えていた多くの家来たちに取り囲まれ、あっという間に殺されてしまいました。
元久二年(1205)には畠山重忠も北条氏のために殺されています。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
おおはたまちができるまで~南部のはなし~27 - こめいがねんど
へつづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1
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*1:ひきよしかず、二代将軍頼家の乳母の夫