おおはたまちができるまで~南部のはなし~25
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
南部氏三代目・時実(ときざね)の話、第五回です。
南部氏三代時実と北条時頼
五戸の地頭代職01
寛元四年(1246)、北条時頼が執権職に就いた年、左衛門尉(位の名)平盛時(たいらのもりとき)という者が、糠部五戸の地頭代職(じとうだいしき)に任ぜられます。
地頭代職というのは、地頭の代わりとして、その土地を管理する責任者の役職名です。
だから1246年頃の五戸の地頭は、北条時頼であったことが分かります。
時頼は平盛時を五戸の地頭代職に任命しましたが、その盛時はほとんど鎌倉に住んでいて、幕府に勤務していました。
なので現地を管理するのは一族の者か、あるいはだれか現地の住人に任せていたのだろうと言われています。
盛時に代わって誰が五戸を管理したのかはわかりません。
その事実上の管理者を所務代官、または代官職と呼んでいました。
この平盛時の名はすでに、頼朝の頃から「吾妻鏡」の中には何回も出ています。
1184年に、藤原俊兼(としかね)とともに幕府の中に、「問注所」*1を始めて開設したのも平盛時でした。
だからこの平時盛と、五戸の地頭代職になった平盛時が同一人物であったかどうかはわかりません。
もし同一人物だったとすれば、地頭代職に任命された時の盛時はすでに八十歳を越していたはずです。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
おおはたまちができるまで~南部のはなし~26 - こめいがねんど
へつづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1
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*1:訴訟事件を処理する役所