おおはたまちができるまで~南部のはなし~23
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
南部氏三代目・時実(ときざね)の話、第三回です。
南部氏三代時実と北条時頼
時頼の回国伝説01
弘長二年の冬、その名久井岳に、ただ一人登っていく旅の僧がありました。
岳の中腹に観音寺があると聞いて、山道を辿りながらようやくここまで上がって来たのです。
この旅の僧こそ、やつれた衣を着ていますが、北条氏の第五代執権・時頼でした。
時頼は康元元年(1256/死の七年前)十一月に髪を落とし出家しました。
法名を覺了法道崇(かくりょうほうどうしゅう)といいましたが、人は最明寺入道時頼と呼んでいました。
時頼は出家して、執権を長時に譲りましたが、その後も旅の僧に姿を変えて諸国を巡り歩き、政治の実情や風俗を見て回ったということです。
さて観音寺にたどり着いた時頼は、住職の桂笠(けいじく)に頼んで一夜の宿を乞いました。
だがやつれた姿の時頼を見た桂笠は、卑しい旅の僧と思ったのでしょう、にべもなく宿を断ってしまいました。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
おおはたまちができるまで~南部のはなし~24 - こめいがねんど
へつづく
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*1:2006年に南部町・福地村と合併したため、現在は南部町