おおはたまちができるまで~南部のはなし~14
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
南部氏二代目・実光(さねみつ)の話、第三話です。
糠部行政の基礎を築いた二代・実光-その3
実光の糠部入部(3)
この将軍暗殺事件の六年前の建保元年(1213)に幕府創設以来の忠臣・和田義盛(三浦氏一族)が、やはり北条義時の計略により「和田合戦」を起しています。
義盛は由比ヶ浜で敗死しました。
ところが、この和田義盛の妹は、実光の祖父・加賀美遠光の妻でした。
つまり実光の祖母が義盛の妹でした。
だから義盛の妹を母に持つ光行にしても、また孫の実光にしても、この和田合戦の後は、北条氏に疑われるのではないかと不安が絶えなかったことと思います。
それに今度の三浦義村の事件が重なったので、実光は、あるいは身の危険を感じたのかもしれません。
「公(実光)これを避け一門を率いて糠部に下向す。」
というのはつまり、三浦一族と姻戚関係である南部氏にも何か災いが及ぶのではないかと警戒し、口実を設けて糠部に下向したのではないでしょうか。
後にこの義村の子・泰村(やすむら)も、北条氏に滅ぼされてしまいます。
以上、実光が糠部に入部するに至った裏事情を紹介しました。
次回はその南部氏と関わりの深い和賀氏について紹介していきます。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
おおはたまちができるまで~南部のはなし~15 - こめいがねんど
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