源さんが行く16
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
天明七年(1787年)の記録・其の参
五月から雨が降らず、干ばつの様相が出てきた。
七月になっても雨は降らず、この町として雨乞いの祈祷が行われることになった。
中国・周の項王の時代に、正月から七月まで雨が降らないことがあったらしい。
雨乞いについての古い記録には殷*1の湯王が斎戒沐浴*2し髪や爪も切り、素車、白馬に白い芽をかけ生贄をささげ祈ったとある。
その時
一・私の政(まつりごと)が正しくないのか。
二・民が仕事に精を出していないのか。
三・宮廷におごりがあるというのか。
四・女色におぼれているのか。
五・賄賂が罷り通っているのか。
六・人を陥れる讒言(ざんげん)がまかり通っているのか。
と、この六つ目を言い終わらぬうちに雨が降り出し、千里四方の野山を潤したという。
我が国では、雄略天皇の時代、奈良の三輪の神に祈って、三日目に雨が降り出したらしい。
皇極天皇の時代には南渕川(明日香川の上流)に皇極天皇自身がお越しになり、四方の天地に祈り、五日目で雨が降ったらしい。
また、天長二年(824)には空海が内裏の神泉苑に善女竜王を勧請して雨乞いの修法(しゅほう)を行って以来、ここは雨乞い修法の道場となった。
元亨(げんこう)三年(1323年)には日蓮宗の僧・大覚が桂川で雨乞いの祈祷を行った。
能因(のういん)法師には天の川を詠んだ和歌
「天の川 苗代水に 堰くだせ あま下ります 神ならば神」*3
がある。
小野小町も
「ちはやぶる 神もみまさば 立ちさはぎ あま(天・雨)の戸川の 樋口あけたまえ」*4
と詠んだと伝えられる。
(中略)
一方、外国はというと、
地中海のシシリー島では十年間雨が降らないことも珍しくないのだとか。三十六年間雨が降らなかったこともあるらしい。
エジプトでは永久的に雨降るきざしがなく、それでも毎年五月の初め頃にはナイル川があふれ出し、水かさを増して大地にしみ渡り、田園にそそぐとか。
土地の人々は、氾濫するナイル川の水量によって農作物の出来を予測するという。
その水、元のナイル川の水面よりも十㍍も高くなり、四十日ほどで水が引き、元に戻るらしい。
以上、今回は雨乞いについての源さんの記述を載せました。
改めて言いますけど、これは源さんが江戸時代に書いた書物です。
どういうルートで世界の情報を入手していたんだろうと、マジ不思議に思います。
毎回毎回、源さんの記述を載せながら、その情報の豊富さに感服させられます。
次回も天明七年をつづけます。
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