こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く16

f:id:komeikanendo:20190913232457j:plain

どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

天明七年(1787年)の記録・其の参

 

五月から雨が降らず、干ばつの様相が出てきた。

七月になっても雨は降らず、この町として雨乞いの祈祷が行われることになった。

 

中国・周の項王の時代に、正月から七月まで雨が降らないことがあったらしい。

雨乞いについての古い記録には殷*1湯王が斎戒沐浴*2し髪や爪も切り、素車、白馬に白い芽をかけ生贄をささげ祈ったとある。

その時

一・私の政(まつりごと)が正しくないのか。

二・民が仕事に精を出していないのか。

三・宮廷におごりがあるというのか。

四・女色におぼれているのか。

五・賄賂が罷り通っているのか。

六・人を陥れる讒言(ざんげん)がまかり通っているのか。

と、この六つ目を言い終わらぬうちに雨が降り出し、千里四方の野山を潤したという。

 

我が国では、雄略天皇の時代、奈良の三輪の神に祈って、三日目に雨が降り出したらしい。

皇極天皇の時代には南渕川(明日香川の上流)に皇極天皇自身がお越しになり、四方の天地に祈り、五日目で雨が降ったらしい。

また、天長二年(824)には空海が内裏の神泉苑に善女竜王を勧請して雨乞いの修法(しゅほう)を行って以来、ここは雨乞い修法の道場となった。

元亨(げんこう)三年(1323年)には日蓮宗の僧・大覚桂川で雨乞いの祈祷を行った。

能因(のういん)法師には天の川を詠んだ和歌

「天の川 苗代水に 堰くだせ あま下ります 神ならば神」*3

がある。

小野小町

「ちはやぶる 神もみまさば 立ちさはぎ あま(天・雨)の戸川の 樋口あけたまえ」*4

と詠んだと伝えられる。

(中略)

 

一方、外国はというと、

地中海のシシリー島では十年間雨が降らないことも珍しくないのだとか。三十六年間雨が降らなかったこともあるらしい。

 

エジプトでは永久的に雨降るきざしがなく、それでも毎年五月の初め頃にはナイル川があふれ出し、水かさを増して大地にしみ渡り、田園にそそぐとか。

土地の人々は、氾濫するナイル川の水量によって農作物の出来を予測するという。

その水、元のナイル川の水面よりも十㍍も高くなり、四十日ほどで水が引き、元に戻るらしい。

f:id:komeikanendo:20190916183323j:plain


 

 以上、今回は雨乞いについての源さんの記述を載せました。

改めて言いますけど、これは源さんが江戸時代に書いた書物です。

どういうルートで世界の情報を入手していたんだろうと、マジ不思議に思います。

毎回毎回、源さんの記述を載せながら、その情報の豊富さに感服させられます。

 

次回も天明七年をつづけます。

源さんが行く17 - こめいがねんど

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

【17日9:59まで5倍】【海峡サーモン 】特選切身セット10切セット(西京味噌漬、吟醸粕漬、塩麹漬、甘塩味、生切り身)【北彩屋】【のし対応可】

価格:4,568円
(2019/9/16 19:51時点)
感想(0件)

*1:いん=紀元前十六世紀

*2:さいかいもくよく=心を清め身を洗う

*3:=神様、どうか天の川から苗代水を大地に落として下さい。天から降臨して雨を降らせてください。

*4:=どうぞ神様、いらっしゃるなら、雨をふらせる天の川の樋(とい)の口を開けてください