源さんが行く90
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
寛政九年(後半)の記録3です。
寛政九年(1797)後半の記録・其の参
生肝(いきぎも)を取るヤツが来るらしいという噂が広まって子供たちが脅えた。
日が経つにつれてあちこちで肝を取られたという話が広まり、木こりたちも恐れおののいた。
ある時、木こりの頭(かしら)・沢田孫三郎が一人いる小屋に、どこからともなく九十がらみのよぼよぼで髭ぼうぼうの年寄りが疲れきった、やせ衰えた姿で入ってきた。
「何年もの長い間、この山中に住んでいる者だ」
と名乗り、かなり長いこと語り合った。
そして、その後行先も告げずどこかへ立ち去った。
生肝を取る人間と噂されたのは、恐らくこうした仙人みたいな人を言うのであろう。
そうこうして、木こりたちの中に広がった怖い噂話はおさまった。
関根橋から長根の恐山街道を抜けると堂近(地名)に出るが、この辺りにはチャガラコと呼ばれる妖怪が住みつき、人に悪さをすると伝えられている。
五月中旬のこと、田んぼに水をはろうと夜の八時頃まで田んぼの畝(くろ)にいた男の所へ、この男の十五、六歳の二男が提灯をさげて迎えに来た。
男は家の者には迎えはいらないと言っておいたので、
「これはおかしいぞ。チャガラコの化け物め。正体を出せ」
とばかり先に歩かせ肩にかついでいたクワで一撃。
さらに二撃、三撃。
翌朝見ると、年取ったキツネだったという。
これについて、本物のキツネだったから良かったものの「迎えに来なくていい」と言い置いたとしても迎えに来ないとは限らないだろうにとか、平忠盛(清盛の父)が京都祇園の火灯し人*1に化けたキツネをつかまえた話をまねたんだろうとか、キツネを殺したこと自体を怒る者もいた。
へ つづく
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*1:燈火を持つのが役目の侍人