源さんが行く78
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
寛政八年の記録5です。
寛政八年(1796年)の記録・その伍
安部九郎兵衛と高橋源蔵が酒屋を廃業して、酒を扱う店が増えた。
他人に売る場合でも、自家消費の場合でも、下り酒*1には一年に五百文ずつの与内金*2が掛けられた。
ところで文安元年(1444)のこと、西の京と東の京で酒麹の売買に関する訴訟が起こった。
そして、訴えに敗れた西の京側はたいへんに悔しがり、北野神社に籠もったところ、その夜、社が火事になってしまった。
幸いに西の京全体の延焼は免れたという。
酒に対する税は、元禄十年(1697)から始まった。
昔から下り酒を売る場合には看板を出し、新酒を売り出す場合には杉の葉で作った酒箒*3を真夜中、子の刻につるすのがならわしだという。
天狗星*4が南から北に飛んだ。その振動の凄かったこと。
舒明(じょめい)天皇九年(637)二月十一日、東から西へ。
昌泰(しょうたい)二年(899)二月二十二日、
寛文九年(1669)三月十一日、東の方へ。
七月十一日には南の方へ飛んだという。
漢の綏和(すいわ)元年正月には長さ十数㍍の流星が、東南から北斗(星の方向)に三分間も見られたらしい。
■十月六日松前で大火が発生。
正応四年(1291)には熱田神社が、
天文十六年(1547)二月と二十三年(1554)五月には白山神社*5が、
正保二年(1645)には愛宕神社や出雲神社、多賀神社、熊野神社、唐招提寺、天王寺などの寺社が火事で焼け、男山*7や鈴鹿峠*8で山崩れと厄(わざわい)の多い年であった。
こうした避けがたい自然災害ばかりではない。
淀屋辰五郎*9や椀屋久兵衛*10はいうに及ばず、加賀・阿和が崎(=粟崎)の木屋藤右衛門はイロハ順に番付した大型廻船を持つ豪商だったが、天明六年(1786)災難に遭遇した。
また、松前の阿部屋(あぶや)こと村山伝兵衛は弁財船(べざいせん)二十四艘を持ち、漁場四十四ヶ所を請け負う豪商であったが、寛政六年(1795)に闕所*11に及んでいる。
へつづく
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