源さんが行く70
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どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
寛政七年の記録・第四回です。
寛政七年(1795年)の記録・其の四/春祈願のはなし2
わが国では、允恭天皇の三年に新羅(しらぎ)に遣いを送り医術を導き入れた。
承暦三年には逆に、高麗(こうらい)からわが国の医術を学ぼうと使節が来たというから、日本の医術はかなり隆盛期に入っていたのだろう。
医師の家系は古代の和気(わけ)氏、丹波氏二家の世襲となり、そこからさらに半井(なからい)氏が生まれ、今大路、久志本、香川、吉益(よします)、山脇氏とつながる。
ところでびっくりする話だが、享保十七年(1732)に長崎に渡来した中国人が、太宰春台の編箒した「古文孝経」を見て、当時の清に伝わっている孝経はたいへん間違いが多いと気づき、周代からの原典をここで得ることができたと感激して、数冊を購入し中国に戻ったという。
大畑では、寛延の頃(1748~51)までは松林大宝院慈元が、蟇目(ひきめ)の修法*1を行い、薬師堂で十七日間、通夜籠もりしたと言われる。
今年は、密教の御修法*2にならい、愛宕山宝勝院慈現が護摩(ごま)を焚き、不動明王とその脇侍の矜羯羅(こんがら)童子、制多迦(せいたか)童子に対して護摩壇をくゆらせ、念誦(ねんじゅ)経と呪文を繰り返し唱えた。
へつづく
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