源さんが行く68
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どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
寛政七年の記録・第二回です。
寛政七年(1795年)の記録・其の弐
天明の凶作の頃、家系の絶えた潰れ家二十五軒の耕作放棄地分の八石一斗三升、洪水等により耕作不能になった田畑分の五斗三升の租税は田名部代官所の年貢からは除かれた。
その調査担当官として南部藩勘定局から上野甚五右衛門、下斗米勘蔵、玉山栄作がやって来た。
三人は、耕作放棄地と、洪水により耕作不能となった土地を実際に訪れて確かめ、持参した台帳と広さを照合した。それにはいささかの誤差も許されなかった。
こうした場合、親類縁者に年貢の肩代わりをさせようというのが、これまでの処置であった。
確かに天明の凶作までは親類縁者で助け合って年貢を納めてきたが、その親類縁者さえ死に絶えた二十五軒なのだということを我々は三人の役人に必死で訴えた。
大安寺の涅槃像*1を易国間の東伝寺に譲った。
二代目は火事で焼失、三代目は軸に描かれたものであった。
明兆(みんちょう)1352年~1431年 室町初期の画僧。
東福寺には五百羅漢図など今も作品が残る。
大安寺にも兆殿司筆の「蓬莱羅漢図三幅対」の画軸が伝わる。
へつづく
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