こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く48

下北半島食べる通信「大畑の海峡サーモン」(2016夏 バックナンバー)【電子書籍】[ 下北半島食べる通信編集部 ]

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

寛政三年、最後の記録となります。

今回は、源さんが所蔵していた「海国兵談」について

意訳の資料編を載せて締めたいと思います。

 

寛政三年(1791年)の記録・その伍   

鎖国論にのっとって、林子平天明五年(1785年)に書き著した「三国通覧図説」が、今年、松前から伝わった。

寛政の今年は、同じく林子平編撰の「海国兵談」は、文化二年(1805年)に仙台から伝わった。

 

林子平、海防を説いて禁錮にー「海国兵談」は絶版

海国兵談、三国通覧図説を著した林子平(55歳)が、老中・松平定信(35歳)の命により禁錮*1となり、両著書とも絶版となった。

前年刊行された「海国兵談」は、日本の中枢部というべき江戸沿海の防備を訴え、

「細かに思えば、江戸の日本橋より唐(から)、オランダまで境なしの水路なり」という有名な警句をもって、江戸湾への異国船侵入の可能性を指摘している。

また、1786年刊行の「三国通覧図説」は、朝鮮、琉球蝦夷地と無人島(小笠原諸島)の地図などを示し、海防的視点から四地域の地理と風俗を解説。特にロシアの南下に備えるため、蝦夷地の本格的経営を提唱した。

幕府はこれを「虚構妄説」、幕政批判の書ととらえた。

林子平は翌年、禁錮先の仙台で

 

親も無し

妻無し子無し

板木(版木)無し

金も無けれど

死にたくも無し

 

の歌を残し、この世を去った。

「日本全史」より

 

松平定信はなぜ「海国兵談」を発禁にしたのか

進んだ国際知識をもつ松平定信がこの年、「三国通覧図説」、「海国兵談」の著者・林子平に蟄居を命じ、 板木を没収したのは、一見奇異な感じがしなくもない。

林子平はこの著書において、対外的な脅威に対して挙国的な海防が急務であることを力説しており、その点では松平定信も切実な関心を持っていたが、林子平がその意見を上書などによって上申せず、直接世間に対して放談したことがシャクに障ったのであろうと言われる。

この点では、松平定信は、やはり偏狭な独裁者の域を脱しなかったのである。

「日本の歴史」中央公論社より

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以上が寛政三年の記録になります。

天皇の地方巡幸にはじまり、地元の船員の帰還、百姓一揆と、いろいろなことがあった年でした。

次回は寛政四年の記録になります。

 

源さんが行く49 - こめいがねんど

へつづく

 

 

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*1:きんこ=一室内に閉じ込めて外出を禁ずる