源さんが行く46
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
寛政三年の記録はまだまだ続きます。
寛政三年(1791年)の記録・その参
奥山の方ではどうなのだろう。
大安寺周辺では今年の夏、蝉の声を聞かない。
■三河の離騒*1白井英二秀雄*2は、文章、和歌、様々な物産にも通じている人だが、みちのくや蝦夷を遍歴することすでに五年という。
その風情は山紫水明*3をほしいままに、気ままに自由に生きる。
あり余る英知の持ち主とはこんな人を言うのだろう。
■出羽・本荘(ほんじょう)の片衡永洗の梅毒の薬、宗丹丸が評判になる。
その製法は、永粉一匁五分を飯に包んであぶり、毒をのぞいた棕櫚(しゅろ)草の根茎、鴉梅(からすうめ)、鼬鼠(いたち)の霜*4を各一両*5。麝香(じゃこう)、甘草(かんぞう)一分ずつを三回ぬり、巴豆*6、大黄、生姜を使って紛毒を下させ、唇のただれた部分は山椒や姜活*7で洗う。
歌舞伎役者の市川柳蔵が来た。
円通寺の屋根の葺き替えに必要な費用を、大畑でも人別帳に従って割り当ててほしいと住職と檀家の衆七人がきて、四日間滞在した。
屋根の吹き替え作業そのものはすぐにもできるけれど、その費用を人別割りすることは容易でない。
結局、ことを成し遂げずに田名部に戻って行った。
干菓子*8や蒸し菓子の製法が伝わり、この町でも流行った。
安渡(大湊)からアサリ売りが来た。一マス二文。
眼鏡売りが、暦術*9を伝えていった。
出雲から神学者の深沢要人、千家末穂大夫、五十集*10敬寿が来る。
生産物産関係では江戸の上田可渓、この人物は松前にしばらく滞在していたらしく、莫斯可未亜*11が越吉*12を攻め入る、朝鮮をも襲うという噂を伝えた。
ところで、神道には白川、吉田、伊勢、斉部(いんべ)、熊野、熱田、鹿島、出雲、住吉、宇佐、加茂の系統がある。
へつづく
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