こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く169

  

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お世話になっております、シヨウX3です。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

源さんの記録、文化元年の2回目です。

 

文化元年(1804)の記録・其の弐

安渡*1でハマグリがたくさんとれ、大畑では一升あたり四文の値段で売られる。 

 

親鸞聖人の五百五十年忌が正教寺で執り行われた。

道路を清め砂利を敷き、花々を飾り、聯額(れんがく)を掲げた。

幕を張り、灯りをかざし、あらん限りの準備をした。

僧侶の後ろに美しく化粧した美少年が花籠*2を持って従った。

ちなみに親鸞聖人がなくなったのは、弘長二年(1262)である。

 

資料「大畑町史」から

この法要に参詣人二千人―正教寺八世義道は内陣(本堂)の荘厳*3を細部にわたって整えた。当時の僧侶としては初めて御伝鈔(ごでんしょう)拝読の資格を得た人であり京都からの帰路には行列を組んで入寺式をするという盛大なものだった。

文化元年、親鸞聖人五百五十回忌の法要を執り行った。その時の繁盛ぶり、「二十五日と二十八日の食事の支度は二千人分だった」と記される。僧侶は、郡内はもとより野辺地、八戸、仙台からも参り、大小の灯籠を寺の内外に配し、石垣の上に二十張りも立てる盛況ぶりだった。

※2008年七月、親鸞聖人七百五十回忌が執り行われました。

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金鳥(こきんちょう)という名の、山鳥より大きい、赤椛色*4の鳥が見世物としてこの町にやって来た。

怒らせると白と赤の斑に変わると宣伝していた。この鳥の羽毛の末は赤く、羽元と羽裏は白らしい。

 

胡錦鳥(コキンチョウ)

スズメ目カエデチョウ科の鳥。小形で、色彩が極めて鮮やかで美しい。オーストラリア原産で、古くから飼鳥とされている。

顔の黒いクロコキン、赤色のアカコキン、橙色のキコキンなど遺伝的異変による色変わりがある。

 

寛政七年(1796)の凶作で死に絶えた家族の年貢十三石分のうち川缺引*5分を除いて八石余りの荒れ地を耕せと、代官所からのお達しである。

お代官や役人がわざわざ大畑にやって来て「耕作せよ」との厳しい指導だ。

とりあえず三年の猶予をいただいて一石に着き銀五匁ずつを上納することとした。

今年がその開墾完了の期限であったが、耕作地は見事によみがえっている。

 

 

 

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*1:あんど=大湊

*2:けこ=散華に用いる花を入れる器

*3:しょうごん=お飾り

*4:かばいろ=赤みを帯びた黄色

*5:かわかけびき=江戸時代、河川の堤防が決壊して田畑の荒廃した時の免租