源さんが行く167
お世話になっております、シヨウX3です。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
源さんの記録・享和三年その6です。
享和三年(1803)の記録・其の六
■去年は関東や大坂で大洪水が発生。大坂では住吉で大火災。
煙草栽培はある時は植え、ある時は止めという状態だが、今年は数軒で栽培されている。藍草はもともと栽培する者がいなかったが、文化三年(1806)になって試す者が出てきた。
大安寺の順道の終わり頃、まだ雪駄の音もしないうちにこの寺の犬が吠えだし、庫裏*2にやって来た。
それは、拾徳*3が掃除を始めると、必ず寒山*4がやって来たのと一緒だ。
生きとし生けるもの、食べ物を得るのにきわめて自然な所為と言えようか。
「無情」ということについて触れよう。
木石や容器の瓢(ひさご)、蚫(あわび)の殻などを酢に入れて時間をかけて染み込ませる。
鏡に絵を書くときには、
①青竹を炭火に焙って竹の瀝(しずく)をとり、
②髪の毛を梍莢(さいかち)汁で油っ気を洗い落としてから黒焼きにし髪灰をとり、
③石亀を鉢に入れて籠に蓋をして尿の出るのをとり、
④蛙を焙り、油をとり、
以上の四種を調合して鏡に書く。
太陽に当ててこれを乾かし砥石で擦り、この粉と梅酢を混ぜて磨き、水銀でこするとはっきりと絵が描き出されるという。
または、硫黄一分粉霜砂一分宛を膠(にかわ)水で合わせ、鏡に止めて描き、乾くのを待って火に焙り、片時磨く方法もあり。
石に文字や絵を書くには、
①亀の尿と②オナモミ*5と③ワサビ汁の三品を墨に摺り込んで描くという。
描いた絵も変化するということに触れよう。
光明朱(赤色の顔料)一箋と焔硝三分を酒と混ぜ合わせ壺に入れて日当たりの良い土中にひと月ほど埋めておき、乾いたころに酒で解いて、下絵は胡紛*6で描き、その上に、今述べた朱を赤く塗り、よく乾かしてから上絵を描く。この絵に熱燗の酒を備えると、絵の中の人物の顔がほんのり赤くなり、いかにも酔っているが如くになり、酔いが醒めると、元に戻って白くなるのを面白がると…。
第十一集・完
ちょっと最後は何が言いたかったのかよくわからない記録でした。
さて次回は文化元年(1804)の記録に入ってまいりますが、
この年、源さんに一つの転機が訪れます。
(こういう表現でいいのかわかりませんが)
詳しくは次回・第十二集をお待ちください!
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