源さんが行く159
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
資料編、大間の天妃様についてのその2です。
享和二年(1802)の記録・資料編(5)
大間の天妃様のこと(2)
源さんは、天妃様は「大間に祀られ、蛇浦にも勧請された」と記録しています。
蛇浦の天妃様はその後どうなったのでしょう。
源さんはまた、長崎の媽祖行列のことも記しています。
中国船が入航、出航する折に媽祖神をたずさえて賑やかにパレードを行い、辻々において棒術のパフォーマンスをおこない長崎の人々を楽しませたと記述しています。
インターネットで調べると、長崎ランタン祭の媽祖行列では今も棒術の演技が人気を集めているそうです。
これまで源さんの記録に時々出てくる阿媽港(あまこう)がどこの国なのかわからずにいた時、松井鉄朗氏がマカオのことだと教えてくれました。
阿媽神廟があることから、室町時代から日本人はこの地を阿媽港と呼んでいたと知りました。天川と表記した時期もあったそうです。
阿媽神は源さんも記すように、日本在来の船玉信仰や大坂住吉神社の三神伝説などと結びついて、日本各地で信仰されるようになりました。
江戸時代以前に伝来し製作された媽祖像は、南薩摩地方を中心に三十例以上が確認されているそうで、源さんが「まさか薩摩の野田権現が…」と書いているのはそのことを指しているのかもしれません。
水戸藩主の徳川光圀の援助によって広められてとする説もあります。
江戸時代前期に清から渡来した禅僧・東皐心越(とうこうしんえつ)が伝えた天妃像が水戸市内の寺に祀られ、さらにそれを模した像が水戸のあちらこちらの寺に祀られるようになっていったとするものです。
大間の天妃様も水戸方面からもたらされたものだといわれます。
以上、源さんが行く・第十集の記録でした。
次回第十一集は享和二年後半から三年にかけての記録になります。
つづく
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