源さんが行く153
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
源さんの享和二年の記録6です。
享和二年(1802)の記録・其の六
■様似に船玉の社を建てられた。
船玉様(ふなだまさま)というのは、大坂の住吉神社の三神*1とも、京都鞍馬の貴船神社の祭神とも、猿田彦命(さるたひこのみこと)とも、弁財天とも、無理にこじつける向きがある。
中国では関羽の霊とも、太道公(老子)とも、張天師*2とも、好禳娘(アマノニャンニャ)とも言われる。
福建の林氏の娘が海で溺れた時に神が現れ助けてくれた。
このことから海路の安全を守る天妃(てんぴ)とも阿媽(あま)菩薩とも呼ばれるようになったという。
しかし、まさか薩摩で野間権現*3として信仰され祀られているとはよもや思わなかった。
天妃は大間の里に祀られ、蛇浦にも勧請されている。
中国船が長崎に入港した折、船神を信仰し寺に仮安置した。
行列には幟、金鼓*4、燈籠、傘。
途中、所々で種々の棒術を披露した。
出船の時にも同じような行列を行ったという。
オランダ船は六大州や島々の方位を細かく記した地図を持ち、新造船には老人夫婦の本物の髪を使った人形を二箇とサイコロ二個を乗せている。
一天地、六舳*5、三合艫、四合中二を合わせる片五は船の例である。
天の岩樟船*6は、天然のクスの木を用いたものか。
神武天皇は日向から船に乗り、何日間かで吉備の高島に到着したというが、大昔のことなので真偽のほどはわからない。
崇神天皇十七年には全国各地で造船がはじまった。
応神天皇二年には伊豆で十丈(三十㍍)の船を造らせたが、三十一年して朽ち、枯れ野の船と名付けて燃やされた。
燃え残った材で琴を作らせたともいわれる。
建保四年(1216)には源実朝公がぜひ宋の国を訪れたいと、宋の陳和卿*7に命じて船を造らせたが、船が重く朽ちてしまった。
「豊漁、安全、女神に祈り」
海の日の七月二十一日、大間町で航海の安全や漁業を守る女神「天妃様」行列と大漁祈願祭が行われた。
行列は午前十一時、大間稲荷神社を出発。
神楽を先頭に、極彩色の人形や大間中生徒による龍舞踊が、ドラや爆竹を響かせながら町内を練り歩いた。
行列に先がけ、大漁旗をはためかせた漁船が一斉に沖合に出て神楽を奉納。
御礼を海に沈めて安全と豊漁を祈った。
天妃様信仰は中国、台湾、東南アジアに広がり、台湾では媽祖様と呼ばれる。
東北地方では唯一、大間稲荷神社に祀られており、遷座三百年を祝った一九九六年から、行列と大漁旗願祭を同時開催している。
行列のトリを飾るヤグラに鎮座する天妃様は本尊の分身で、他の人形などとともに台湾の姉妹宮から贈られた。
【東奥日報二〇〇八年七月二十二日付より】
つづく
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