源さんが行く143
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
源さんの享和元年の記録その4になります。
享和元年(1801)の記録・其の四
ノッコロ海岸が打ち寄せる波で決壊した。
その崖下に二抱えに余る切り株が現れた。
根元は全部砂に埋まってビクとも動かない。
前からここに生えていたものなのか、それともどこからか流れ着いたものなのか。
そうこうしているうちに砂に埋まって見えなくなってしまった。
おそらく安永八年(1779)頃だろうか。田名部明神に近隣三十一ヶ村の小燈籠田名部と大畑からの大燈籠が寄進され吊るされていた。
天明二年(1782)には「海辺総鎮守」と書かれた仰々しい幟旗(のぼりばた)が間尺請負人たちから寄進された。
ところで安永六年(1777)の頃らしいが、川内村も宿老・検断の町役名を使うようになった。
二十年経った今、「田名部町」と書いた燈籠に代わって「川内町」と書いた大燈籠が大畑燈籠と並んで吊るされている。
午後八時ころ、正教寺谷地から古川の畝伝いに、橋の脇から横町まで提灯お化けが出るという噂が広まり四年が経つ。
もしかしたら夜鳥かもしれない。
延享元年(1744)南町一帯が火事で焼失。
防火対策が必要になった。
ずっと空き地のままになっていた彦右衛門の屋敷を、安永四年(1775)に八幡宮社地に設けた防火用ため池の代替え地として八幡宮に譲渡した。
しかし最近になって、八幡宮の前に空き地があるのはいかがなものかということになり、今年、金藏の家を建てることを許可した。
へつづく
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*1:江戸末期まで甲斐の国で鋳造した金貨