どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
源さんの記録、寛政十二年8になります。
寛政十二年(1800)の記録・其の八
大畑ではイワシ船を建造する際の税金は、寛政三年(1791)から特別に免除されてきた。
ところが、今年になって天当船数隻を蝦夷地用に売り渡したことから、他の村と同様に税金を納めなければならなくなった。
囲船*1税と船大工の小頭職に対する免税はそのまま残った。
菊池常吉(源さんの娘の嫁ぎ先)が、他国(函館?)で仕事を始めたいと南部藩に対し暇願い(南部藩御用達の辞職?)を申し出、俸禄や身分を返上する旨書面を提出した。
しかし、どういうことなのか、御沙汰*2のないまま、四年放置された。
そして今年、苗字帯刀の件は代官の処理事項と改められた。
〈大畑と下風呂の境界争い、その発端〉
代官の小菅十左衛門と下役兼山奉行の坂井平右衛門が、棹、櫂、小船、帆柱の吟味(検査)と称して、北通り方面からやって来た。
そこで大畑から赤川の馬降り場へ出迎えに出た時のこと、境界を越えての出迎えはけしからんと大赤川の北岸に境界線を示す榜示杭*3を勝手に立てた。もともと納得できない境界線の杭である。
加賀と越中の白山をめぐる国境争いでもないが、下風呂が立てた杭は何度も何度も抜かれた。
そんなわけで下風呂では御偉方のお出迎えやお見送りのたびごとに杭を持参して立てた。これを称して、我々は懐中杭と呼んだ。
へつづく
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