こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く119

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

幕府の東蝦夷地直轄の影響を受けた大畑の記録9です。

 

寛政十一年(1799)の記録・其の九

 

この日、幕臣の菊池宗内が到着して水沢網を広げさせて点検した。

点検は、漁具や杉皮、桧皮(ひわだ)にも及んだ。

これまで水沢網を扱ってきたのは菊地与左衛門だけであったが、幕府御用を取り扱う江戸の楠原角兵衛から小林半六と新谷荘助に書状が届いていた。

菊池与左衛門の方には、江戸にいる長川仲左衛門から申し入れがあった。

いずれも御用の向きである。

しかし、小林半六は性に合わないと辞退。

逆に、水沢網の宿だった湯浅嘉兵衛は幕府御用に加わりたい意向を見せていた。

人の心は様々である。

こうして以後、搬入される網は菊地与左衛門と新谷荘助が扱うことになった。

五月十四日、菊池宗内が出立した。

その夕べ、孫次郎間で私(源助)は幕臣渡辺大之助、根津清左衛門と語りあい親睦を深めた。

 

 御引き払い証文

「この度の蝦夷地御用を、当大畑においては建屋の切り込み五棟、磐城の大工による造船四艘を仰せつかり、また御用中の方々にご滞在いただきました。

御勤務に際して厳しく仰せられましたのは、食事は持ち合わせの品々で一汁一菜の外、とりたてて必要ないとのこと。

従って、別紙の木銭*1をいただきませんでした。

御一同、御家来衆皆々様に至るまで過分なもてなしがなかったかとのお尋ねでございますが、これまた、承りました通り、一切ございませんでした。

また、当大畑において御買い上げいただいた品物の代金は、時々に支払いが済んでおります。掛買い*2等はございません。御用中の職人の賃金やその他、すべて代金はそれぞれ別紙仕上げ帳の通り、残らず頂戴いたしました。すべての精算に落ちはなく、今後、残金を請求するようなことは絶対にございません。

このたびの御用の目的が終了し、当大畑を去られるに当たり、御引き払い証文を命じられましたので、恐れ多くも畏まって、この連判一札を差し上げる次第です。以上、相違ございません。

 

 御宿々亭主 (新谷)栄左衛門、(菊池)治五右衛門、伊左衛門、(伊藤)太兵衛 、(高橋)源蔵

 船大工 (向井)清兵衛

 鍛冶 作兵衛

 船頭 (内海)弁五郎

 取り扱い (新谷)荘助、(菊池)与左衛門

 奥州南部北郡(きたべ)大畑

 検断 (竹内)伝右衛門 

 宿老 (堺)忠兵衛、(邑林)源助

 

 未(ひつじ)六月二十三日

佐藤茂兵衛様、菊池宗内様、正田周平様、和田兵太夫様、渡辺大之助様、河野権治郎様、根津清左衛門様、岡田佐市様、田口久治郎様」

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へつづく

 

 

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*1:きせん=木賃に同じ。旅人が米を持参し薪代を払って宿に泊まる時の代金

*2:つけで買うこと